令和元年5月18日から、県政史上初となる5期目の任期をスタートさせました。
小学校の時は、カブスカウト(ボーイスカウトの年少組織)活動で山野を駆けめぐり、中学・高校は柔道部、大学は弓術部と、スポーツ、中でも武道中心の武闘派(合計五段)です。もっとも、人からは「絶対に見えない」といわれるピアノについては大学時代にピアノサークル(東大ピアノの会)で学園祭や卒業演奏会などで演奏、レパートリーはショパンのポロネーズでした。
東大法学部卒業後は、東京への一極集中は問題であり、「地方分権の推進こそがライフワーク」という志を抱き旧自治省に入省、以来、約20年にわたり自治省の様々な要職を歴任、その間、新潟県、山梨県、埼玉県そして徳島県とその半分以上を地方行政の最前線で勤務、企画・財政をはじめ、経済、環境、私学・高等教育、文化、国際交流等々幅広い分野のノウハウと人脈を築き、特に埼玉県財政課長時代には2002年サッカーワールドカップの会場となった我が国最大のサッカー専用「埼玉スタジアム2002」の査定のため国内外を奔走、その後、JAWOCの情報通信専門委員として大会のIT面を支えました。 地方分権の熱い思いと、地方行政の魅力を若い世代に伝え、後進を育成するため、山 梨大学で4年間にわたり教鞭(非常勤講師)をとり地方自治法関係の講義を行うととも に、地方行財政をはじめ、IT(情報通信技術)、文化振興、地域振興関係の執筆を行うとともに、自治体はもとより、関係各方面からの要請に応え、数多くの講演会(徳島では池田町でITをテーマ)、各種委員を行って来ました(ネットにおいて「飯泉嘉門(いいずみカモン)」で検索下さい。)。
平成13年4月に徳島県商工労働部長として赴任、緊急経済対策として、労働界・経済界・学識からなる対策会議の立ち上げ、国の緊急雇用交付金の有効活用、実効性のある企業誘致戦略、ベンチャーをはじめとする徳島の将来を担う新産業の創造(知的クラスター)に尽力、翌年4月には県民環境部長として、環境から地域振興、防災、IT、文化までと幅広い分野をカヴァー、公共水域浄化対策の推進、環境審議会への初の公募委員登用、南海地震対策及びテロ対策、全県CATV網はじめ電子自治体の推進、我が国一流のコンサート(クラシック、ポップス)の誘致等、とくしまの当面の懸案解決と将来への布石を行いました。
昭和59年3月 | 東京大学法学部卒業 |
---|---|
昭和59年4月 | 自治省入省 |
平成5年4月 | 山梨県総務部財政課長 |
平成7年4月 | 埼玉県企画財政部財政課長 |
平成10年6月 | 郵政省通信政策局地域情報化プロジェクト推進室長 |
平成12年7月 | 自治省税務局税務企画官 |
平成13年4月 | 徳島県商工労働部長 |
平成14年4月 | 徳島県県民環境部長 |
平成15年5月 | 徳島県知事 |
平成19年5月 | 徳島県知事(2期目) |
平成23年5月 | 徳島県知事(3期目) |
平成27年5月 | 徳島県知事(4期目) |
令和元年5月 | 徳島県知事(5期目) |
令和元年9月 | 第13代全国知事会長 |